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2004/04/30(金)

昨日、「現界への望楼」にアップした「D・O・G」だが、読んだ後でふと思った事がある。それは、山文京伝の「かげり」は他の作品とは物語構成が大きく異なっているのではないか、という事だ。

「D・O・G」に掲載されている他の作品もそうだが、大抵の場合、獣姦モノの作品では獣姦シーンがクライマックスに来る。別の言い方をするなら、物語の終着点が「獣姦という行為」になっている。うーむ、うまく言えん。大雑把に言うなら、マンガのオチとして獣姦がある、てとこだ。

キザな言い方をするなら、多くの獣姦モノは「処女喪失の物語」と言ってよい。それまで体験したことのなかった行為を、いかにして体験することになったのか。それを物語るのが全て、というのが、大抵の獣姦マンガ/小説だ。もちろん、獣姦自体が刺身のツマというか、オマケというか、そういう扱いになっている話もある。が、そういう場合も含めて、「体験しちゃったら、獣姦はもうお終い」というのがほとんどだろう。ちなみに、同じく「D・O・G」に収録されている作品で、「獣の王子」(作・どざむらはちえもん)という話では、ストーリーの初っぱなから「私、犬と結婚します」宣言をぶちかましていたりして、「花嫁と犬」を書いた身としては「はうあうあー、“いきなり獣婚爆弾”なんて手法、とっくに他の人が描いちゃってたのね。○| ̄|_ 」とがっくりしたりしてたのだが、それはともかく。ヒロインの経験としてはともかく、物語の進行としてはやはり「獣の王子」の場合も、「獣姦という行為」を描くこと自体が目的の物語構成になっていると思う。

ところが「かげり」は、そうなっていない。体験するまでの部分もストーリーに含まれてはいるが、しかし体験しただけで終わってはいない。「その後」がさらにある。読者はまず、「ヒロインはいかにして獣姦を体験するか」という物語を読まされ、そしてその後にさらに「ヒロインはいかにしてさらに堕落するか」という物語を読むことになる。もちろん、獣姦という行為に墜ちていくのだが。

ええと、獣姦体験の「その後」を書いた物語が他にないというわけではない。あることは、ある。私が言いたいのは、そういう話が書かれる事は少ない、ということだ。ちなみに「その後」を書いた作品としては、今思い出せるかぎりでリストアップしておくと、

2004.05.22 追記:栗田勇午の「二人の果て」(NO DOG NO LIFE に収録)もそうですね。

くらいのものか。「らっきー・らてぃっしゅ・シリーズ」は「その後」でもちゃんと(?)獣姦してる。ただし、今は読めない状態だけど(サイトが一時停止中だそうな)。「青輝丸」は物語の初めのほうで獣姦したっきり、以後、獣姦シーンは無い。ただし、その後のヒロインの心の支えになってたりして、物語のバックボーンとして無視できないが。「楚清の秘密の日記」は、「(1)相手が犬から馬に変わる (2)単に姦るのではなく結婚する」という、サービス過激化な方向で書かれている。「ニセ DRAGON BLOOD」も同じく過激化の方向で。「鬼喰い」では、ええっと、更新されたばっかだし、ネタバレになるから書かないでおきます。まだ見てない人は「ヤシキアト」に行って下さい。分類できなかったんだろうって? くそぅ……。

いや、内容の説明なんか、どうでもいいから。

で、なぜ「その後」を書いている物語が少ないのか、を考えてみたのだが、とりあえずの私の結論としては「読者に最もアピールするのが“処女喪失”の瞬間だから」となった。

獣姦というのは言うまでもなく変態な行為で、それ自体がエロとしてインパクトが大きい。したがって、いったん獣姦シーンを書いてしまうと、それ以上にインパクトのあるシーンを書くのは困難になってしまう。これがSMモノであれば、緊縛とか木馬責めとか奴隷調教飼育輪姦と、ヒロインが未体験の行為を順次行っていくことで話をつなぐことが出来る。が、獣姦の場合、それは難しい。犬と姦ったから、次は馬と、というわけには行かない。いや、そういうのを書きたければ書いてもいいわけだが(実際、「楚清の秘密の日記」はそういう話だ)、獣姦モノのインパクトというのは、そういうものでは無いのだ。

人間が動物とセックスする。これが獣姦モノの最大のインパクトなので、相手を変えたくらいでは読者へのアピールはさほど大きくならない。まあ、一度ならず二度までも、というアピールは出来るわけだが。「その後」を書くために必要なのは、むしろ「処女喪失」とは別の方向からのアピールだろう。で、それは何か?

だから、「その何か」を思いつくのが難しいんだってば!! 「かげり」の場合は、最初の獣姦ではヒロインの心の変化を最小に留めておいて、「その後」で獣姦に耽溺していく経過を描いている。「楚清の秘密の日記」「ニセ DRAGON BLOOD」では、前述したように「より過激な方向へ」。「青輝丸」では動物との性交描写を避け、精神的絆を描く方向で対処。「らっきー・らてぃっしゅ・シリーズ」では、相変わらずの「らぶらぶ」っぷりをアピール。まあ、第3話では馬だったりするわけなので、過激化の方向も入ってるのかな?

ちなみに私がこれまで書いた小説/妄想では、例外なく「処女喪失」の物語になっていると言ってよい。「その後」を書いた作品は1つも無い。最も長い作品である「加代の物語」では慎重に獣姦行為そのものを避け、人目を避けてのペッティング → 見られながらのペッティング → 見られながら獣姦、という流れになっている。獣姦を一番最後まで取っておいて、実際に姦る一歩手前の描写で読者を引っ張っていくという方法だ。書いている最中はそこまで明確に意識してはいなかったが、しかし「獣姦シーンは一番最後だよな」という事は決まっていたので、やはり「獣姦モノ = 処女喪失の物語」という構造で考えていたのだろう。

ここまで書くのに2時間くらいかかっちゃって、なんか疲れてきたので適当にまとめちゃおう。

いったん「獣姦」という大きなインパクトを読者に与えてしまうと、そのインパクトを乗り越えて物語を続けるのは難しい。したがって多くの獣姦モノでは獣姦シーンをクライマックスに配置し、「処女喪失の物語」という構造をとる。

獣姦の「その後」を描く作品は数が少ないが、それは獣姦という行為の強烈さゆえのもので、しかも獣姦モノの魅力はその「行為の強烈さ」自体でもあるため、別種の構造の物語を創るのは困難である。「かげり」はその困難を乗り越えた希少な作品である。と褒めておけば結論っぽく見えるだろう。(ぉぃぉぃ)

そこまで考えてるんなら、自分で乗り越えてみれば? とか言われそうだな。(汗

Σ( ̄□ ̄;) ああっ!! もしや「新人研修」の続きを書けないでいる原因って……。そして最近、小説/妄想を書く頻度が激減してる理由も……これか? これなのか!?「処女喪失」ばっかり書いてたから、飽きちゃったのか!? うおお、今、この瞬間になってその可能性に気がついた。ぐはぁ。

ぐはぁのついでに言うが、解決策の1つとして最も安易なのは「過激化」だと思う。なぜ安易かといえば、それは要するに「新しい処女喪失」でしか無いから。あるいは、少年マンガに見るインフレ・バトルのようなものだから。過激化という手段を使えるのは、せいぜい2回くらいまでだろう。やりすぎると破綻する。そしてもちろん、物語を書くごとにそれぞれの物語で「犬 → 馬」なんてことをやっていては、読者に先を読まれてしまう。「どうせ1回目は犬で、その次に馬が出てくるんだろ」などと思われては、ねえ。

だから本当に必要なのは、「価値観の転換」だ。「インパクトをより強く」ではなく、「別の観点からの面白み」といったものだ。

うにゅー。何か……何か考えねばなるまい。……何かを。

ところで、「処女喪失」を連呼しているようですが、人間の男なんてセックスしたうちに入らねえよ、ってことですか?(違)

補足:「処女喪失」構造だからって、つまらないってわけじゃない。栗田勇午の作品を見よ。


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