【第一話】犬原見の由来


いまは犬原見というなむに、むかし女(むすめ)ありけり。年の頃とて貧しかりけるが、いずれにか縁(えにし)あらんとて、父母(ちちはは)とともに居りたり。

いずこよりか猿ども来たれり。山にて木のごとく野にて草のごとき数にて、山野にありしもの田畠につくりしもの、みな失せり。つひには人にさへかからんとすれば、みなおののきて屋にこもりたるなり。やがて餓えたればとて出でて逃ぐるものありしが、猿の追いて捕らえるにて死せり。

いかにせむとて、ひそかに集いたるも虚しうなれば、翁の出でていはく、「むかし山に白き犬ありて、人、山に入れざるなり。さればとて女(むすめ)をおくりて縁を結びしより、女(むすめ)の縁にありつる者なればとて、人、山に入りたり。また縁のあれば、犬の助けることもあらむ」。

他にすべもなしとて、父母の女(むすめ)にて犬と縁を結ばんとす。されど山に猿どもの居れば、いへにて犬をよばわんとて、人集いてこゑあぐるなり。また情もちて呼ぶべしと女(むすめ)の衣はぎて犬のごとく構えさせ、父母の手にて足ひらかせて撫づりまさぐれば、つがいのもとむがごとく愛し(かなし)き女(むすめ)のこゑにて、人みな犬のありやとかへり見るなり。

月の出づるころにて皆うち疲れしが、いまひとたびとて父のいひし、「わが女(むすめ)の良き縁とて白き犬もとめたり、わが女(むすめ)に犬の仔さずけたまへ、わが家(いへ)の末を犬と為して栄えさせたまへ」。戸のうち倒れて犬のあらわれし。

さてもかの白き犬の来たりしかと思へば、父と母とて、かしこまりて奥へと招きたり。女(むすめ)の腿ひらきて犬の縁(えにし)の賜らんとす。奇し(あやし)きことなりと人の立ち見るに、「すべ無しと言へど、いかで悪しきさまなり。人の犬なるは神つ罪なり。とどまるべし」言ふものあれど、父の答へていはく、「されば見るべし。罪なるとて、女(むすめ)の求むるなり」

父母の撫づる手のとく止みたるに、女(むすめ)の腿、腹、犬の近づきたるを息吹きにて知りたれば、露のこぼれて泣きたるさまにて後ろよりゐざり寄れば、犬の白き腹よりくれなゐたる艶になりたるものありて、人の見るうちに女(むすめ)に入りて失せるなり。女(むすめ)泣きてむせぶなれば、人の言ひていわく「縁(えにし)さへとて求むるに、好しと思はんなるは浅まし。犬にて人に非ず」。また人のいわく「願ひて結ばんとする縁(えにし)なれば、子の無きは縁の無きがごとくなり。その胎に仔のやどるを求むるべきなり。奏ずべし、好しや、好しや」。されど女(むすめ)の答へていわく「いかで人の犬の仔をやどすなりか。ただ縁(えにし)の嬉しきなり。あ、好しや、あ、好しや」

父、母、わが女(むすめ)のことなれど、そのありさまを見れば情のさゐさゐしくて、おのずから奏したてまつるなり。「これはわが女(むすめ)にても、人に非ず、犬なり。犬の犬なりて犬の仔を為すは理(ことわり)なれば、女(むすめ)を犬の妻と為すも理(ことわり)なり。わが家(いへ)は犬なりと言ふも理(ことわり)なれど、さればその理(ことわり)を明らめんと、犬の仔の女(むすめ)より分かれるを見させたまへ。わが女(むすめ)は白き方に献じられしものなりて、飽くるともまぐわひたまへ」

白き方は聞き愛づともあらぬさまにて、女(むすめ)をつらく責むれば、好しやとむせぶままに、女(むすめ)の背に尾をかへして尻を合はせり。女(むすめ)の狂はんといとど泣くを聞きて、やう、眼(まなこ)の糸のごとくして心地ゆくさまなり。犬の交合ふの障りなきとて、さにあるべし。

白き犬、女(むすめ)の泣くをいと楽しと思ひしか、月の消ゆるまでまた俯(かぶ)さり、尻を合はせ、三たび、四たび、交合へり。父母、人、飽かずして、また仔を為さんと喧(ののし)れば、父母もこそ犬の親なると人の下ぐるを聞きて、また好しやと言ふを、この女(むすめ)は犬より下ぐるなりと人の言ふなり。

後にては山野に猿の居ずして、白き犬たてまつる者おほし。

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おまけ:現代語訳

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