第3章


与志子が帰国して2週間程過ぎた日

オスカーを野生に帰す時が来た。

「オスカー、元気で暮らすのよ」

トラックに積まれた檻の中に居るオスカーに向かって栄子は言った。

トラックはゆっくりと動き出した。

オスカーは悲しげな鳴声を発した。

栄子はトラックが見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。

未舗装の赤茶けた道路をトラックは進む。

T字路に差し掛かると、トラックはジャングルとは反対の方向に曲がった。


小山は本村興業からタクシーで動物商のところへ寄った。

動物商は痩せ型で、動物が好きな優しそうな男であった。

今まで動物好きの本村に、いろいろなペットを買ってもらっていた。

本村が連絡しておいてくれた為、動物商はすんなりとオランウータンを見せてくれた。

売り物のペット達を眺めながら奥へ進んだ。

突き当りのガラスの窓が付いたアルミ製のドアを開けると、大きな檻がいくつも並べてあった。

「ドアからこちらは、業者間での取引の大型の動物をおいている所です。」

動物商は小山に色々と説明してくれた。

オランウータンの檻は、ドアから真っ直ぐの付き当たりの所に有った。

他の檻の動物の啼き声を怖がって、檻の中で小さくうずくまっている。

傍によると、上目遣いでこちらを見た。

「一日中この中にいるのですか?」

小山は尋ねた。

「ええ、今はね」

「この檻は大きくて余裕があると思いますが、でも、ストレスがたまるでしょうね」

小山は可愛そうだと思った。

「ええ、定期的に本村様に頼まれた獣医さんが診に来ますけどね」

「それに今、本村様が小屋を作っているので、出来上がったらそちらへ移動します」

動物商が答えた。

「随分大人しそうですね」

小山は大人しいというより、元気が無いのではと思った。

「ええ、本当に大人しいです」

と言って、動物商は自分の腕を檻の中に入れて見せた。

小山はこのオランウータンが、○×動物園で人間に育てられたオランウータンか聞いてみた。

「なぜ、そんなことを?」

「それが、どうかしたんですか?」

動物商は怪訝な顔をして聞いてきた。

「本村さんから聞いてないですか?」

小山は動物商の眼を見た。

「いいえ、私は本村様の指示に従っただけですから」

「詳しいことは本村様に直に聞いて下さい。」

動物商は無表情で答えた。

「いや、ただ気になって」

まさか、女と絡ませるとは言えないので、返事に詰まった小山であった。

小山は動物商からの帰りのタクシーから窓の外の景色を眺めながら思った。

あのままじゃ、あのオランウータン本当に病気になっちまう、こりゃ急がないと。


次の日、小山は田中と無人島での撮影方法に悩んでいた。

「う〜ん、電源をどうやって・・・・」

小山は頭を抱えている。

「船の発電機から撮影場所までケーブルを引くってのわ?」

田中が言った。

「確かに容量は有るから好いが、遠いと無理だろうな」

小山が言った。

「監督、とにかく現場を見ないと、なんとも成りませんね」

田中が背伸びをしながら言った。

「タクシーで行ければ、直ぐに見に行くけどな」

「太平洋の孤島じゃ簡単には行けんぞ」

小山は顎を撫でながら言った。

二人が、うつむいたままの沈黙が続いた。

沈黙を破ったのは田中だった。

「そうだ、監督、盗撮方法で撮りましょう」

田中の目が輝いた。

「ハンドカメラを担いで、離れた所から盗撮しているアングルでどうです」

田中が身を乗り出した。

「監督が以前撮った、盗撮シリーズの様にやったらどうですか」

田中が少し笑いながら言った。

「あれはヤラセだからな、今度は言葉が通じない奴が相手じゃヤラセが出来ないぞ」

小山が答えた。

「プッ、それにあのシリーズは、大スカこきましたしネ」

田中が肩を震わせて笑いをこらえた。

「うるせーッ」

小山が田中の頭をポカリと殴った。

「でも、「番い」を見た者が望遠で撮った物を満足するかな」

小山が真顔で言った。

「それもそうですね」

田中が頭を撫でながら言った。

また二人の沈黙が続いた。

「よし、こうなりゃ両方準備するか」

「あとは、現地に行ってから考えよう」

小山が開き直った様に言った。

「それと、女の子が決まったら、奴と慣れさせる期間がいるなぁ」

小山が呟いた。

小山は本村興業の帰りに動物商の所に寄って、オランウータンを確認していた。

大人しいので撮影は出来ると思うが、いきなりは絶対無理だとわかっていた。

「「番い」の時は何日、融合期間を設けたんだい」

小山が田中に聞いた。

「う〜ん、10日だったと思いますが」

田中が頭をひねりながら答えた。

「思ったより短いんだな」

小山が感心したように言った。

「たったの10日間か、後藤ちゃんやるなぁ」

「監督、後藤さんが凄いんじゃなくて、遠藤与志子が凄いんですよ」

田中が小山の顔を見た。

「ストーリーも、遠隔操作の撮影方法も全て彼女の提案なんですよ」

「後藤さんは、モニター見ていただけですよ」

「最初の後藤さんの案では、別荘の裏庭で撮る予定だったんです。」

「後藤さんの案のままだったら、おそらく小山監督の作品と同じく大スカでしたね」

田中が笑いながら言った。

「なんだ、俺と同じとわ」

小山も笑った。

壁に掛けた時計を見ると八時を過ぎていた。

「田中ちゃん、俺は腹が減った、もう帰るぞ」

「後は、明日だ」

小山はスクッと席を立ち事務所から出て行った。

離婚してしまった小山は、よく、仕事帰りに自宅近くのコンビニで弁当買う。

今日はどれにしようか、迷った挙句にカツ丼と、サラダを買った。

レジで金を払った小山は、弁当が冷めないうちに自宅へと急いだ。

小山がレジでお金を手渡した女こそが、今、小山達が探している与志子であった。

毎日、小山は与志子と接しているのに、分からないのである。

小山は与志子とは面識が無いので分からなかったのは当然であった。

与志子は日本に帰ってから、次回のビザが発給されるまで、少しでも多くお金を貯めたかったので、

慣れたコンビニでバイトをしていた。


一週間後、本村からの連絡が有り、あのオランウータンは、「間違いなく章吉だ」という返事であった。

もう直ぐ、小屋が完成するらしく、近々、章吉をそちらに移すという。

後は、女優だけが問題であった。

もう、小山と田中は与志子を諦めていた。

今、小山と田中は会社の専属の女優を中心に口説いて回っていた。

「監督、そちらは、手応えはどうでした。」

田中が小山に聞いた。

「ダメ、ダメ、」

小山は、指でバツ印を作った。


その頃、西山は今日もブラブラと女の子を求めて街を彷徨していた。

遊んでいるように見えても、これが彼らスカウトマンの仕事なのである。

西山も与志子の消息を掴めないでいた。

そして、西山も諦めかけていた。

西山はポケットから煙草を取り出した。

「ん、最後の一本か」

煙草を咥え、火を点けた。

空になった煙草の箱を握り潰し、通りがかりのコンビニに煙草を買いに入った。

「いらしゃいませぇ」

店員達の挨拶が二重三重になって聞こえた。

いつもの煙草と雑誌を手に取り、レジに行くと、西山の前に二人並んでいた。

ちょうど客が込み合う時間帯だった。

「こちらへどうぞ」

背後から現れた店員が、隣のレジに入り西山を呼んだ。

西山が移ろうとした瞬間、二人の客が並んでしまった。

どっちに並んでも、同じなので仕方なくそのままその列に並んだ。

西山は仕事柄、女をチェックする癖が付いていた。

西山は何気なくレジの店員のスタイルをチェックしていた。

(う〜む、太ってはいないし、胸は結構大きそうだし、スタイルは合格だな)

(次は顔はどうだ、う〜ん、メガネをはずせば結構、・・・美人のようだが、髪を美容院で整えて化粧でもすれば、結構いい女になりそうだけどな)

西山はそんな事を考えながら、ボーッとレジの店員を見ていた。

「・・・!」

西山は驚いて我に還った。

偶然とは、こういう事を云うのかと、まざまざと感じた。

目の前にあれだけ探していた、与志子が居たのだ。

与志子はまだ西山に気付いていなかった。

西山の番が来たので、品物を手渡した。

「735円になります」

与志子はレジの金額を確認しながら言った。

「久しぶり」

代金を渡す時に西山は小声で与志子に言った。

与志子は顔を上げ、客の顔を見て、一瞬息が止まった。

「君に話がある」

西山は小声で言った。

「聞きたくないわ」

与志子は、つり銭を渡しながら冷たく言い返した。

「君に会いたがっている人が居るんだ」

西山はつり銭を受け取るふりをして与志子の掌を握った。

与志子は手を振り払い。

「そちらのお客様どうぞ」

西山を無視して、隣の列の客を呼んだ。

「章吉も一緒だ」

西山は離れ際に小声で与志子に伝えた。

与志子は聞こえぬ振りをして、客に対応していた。

西山はコンビニを出て、少し離れた所で与志子に気付かれぬように帰りを待つ事にした。


「章吉も一緒だ」

西山のこの言葉に与志子の心は揺れていた。

章吉の事を諦めて忘れようとして、スマトラ島のオランウータン保護施設にまで行ったのだった。

(私には、オスカーが居る)

(・・・・・でも、逢ってみたい)与志子はそんな気持ちもあった。

だが、逢っても自分では章吉をどうにも出来ないのならば、逢わずにこのままでいた方がお互いに良いのかもしれない。

与志子の心は揺れた。

終業時間になっても与志子は迷っていた。


西山は仕事柄、待つ事には慣れていた。

待つ事がスカウトの仕事の様なものである。

時計は午後九時を少し過ぎていた。与志子が店の裏口から出てきた。

人通りの多い歩道を急ぎ足で歩き出した。

与志子の後姿を見て西山は呟いた。

「相変わらず、いい肢体していやがる」

西山も急いで与志子に近づき声を掛けた。

与志子は西山の声が聞こえない振りをして歩き続ける。

西山は与志子の前に出て、進路を塞いだ。

与志子は西山の横をすり抜けて、振り切ろうとした。

西山が与志子の腕を掴んだ。

「待てよ」

「話があるんだってば」

西山は与志子に言った。

与志子は西山を睨みつけて、腕を振り払った。

与志子は西山が許せなかった。

あの別荘での撮影が終わった時、章吉の事を散々エテ公呼ばわりして罵倒していたからだ。

帰りの車の中でもイヤミッたらしく、ネチネチと与志子を馬鹿にしたことを言っていた。

それで、与志子は耐え切れず、近くの駅から電車で帰ったのだ。

「そんなにエテ公が良いのなら股間にApe cock only.とTattooを入れたらよく似合うぜ」

車からの降り際に西山は言った。

「それもいいわね、その言葉気に入ったわ」

与志子は冷たく西山に言い返した。


「君に会いたがっている人がいるんだよ」

「その人は章吉と一緒だ」西山は与志子の背後から言った。

与志子は章吉という言葉にピクッとした。

思わず、章吉に逢いたいという気持ちが抑えられなくなった。

「今日は、もう、遅いから嫌ッ」

「明日、AM11:00に○○の店で会いましょう」

与志子は振り返って言った。

直ぐにも章吉に逢いたかった。

しかし、半面、逢わずにこのまま忘れる方が良いという気持ちもある。

与志子の揺れ動く心は、明日に引き伸ばすのがやっとであった。


翌朝、与志子は、まだ迷っていた。

昨夜は章吉の名前を聞いて思わず約束をしてしまったが、このまま逢わない方が良いのではないのか?

章吉には逢いたい。

しかし、例え逢ったとしても、どうにも成らないのなら、今のままの方が良いのではないのか?

それに今の私には、オスカーが居る。

こんな事ばかり考えて、昨夜は一睡も出来なかった。

与志子の気持ちとは裏腹に、時計の針だけは進んでいった。


小山は田中と事務所で会社の専属の女の子のファイルを漁っていた。

「誰か、ハイッって、一つ返事をしてくれる子は居ないのかよう」

小山がこぼした。

「絡む相手が、相手ですからねエ」

田中が諦め気味に言った。

その時、小山の携帯が鳴った。

「小山です」

少し気取り気味に言った。

電話の相手は、西山からであった

西山は昨日の出来事を小山に伝えた。

小山は西山の話を聞き終えると静かに携帯を切った。

「田中ちゃん、与志子が見つかったそうだ」

小山は少し希望が出てきたと思えた。

「えっ、本当ですか」

田中の顔も明るくなった。

「今から会いに行って来るわ」

小山はスクッと立った。

「あっ、僕も行きます」

田中も立とうとした。

「お前は、まだ、女の子を捜さなきゃダメだ」

小山は田中の顔を見た。

「だって、もう見付かったんでしょ」

田中が言った。

「馬鹿、これから出演交渉をするんだ、ダメだったら代わりの女の子が要るだろうがぁ」

小山が言った。

「ハイ、ハイッ、ワ・カ・リ・マ・シ・タ・よ」

田中はふてくされて言った。


10月の下旬にもなると、街中を行き交う人々の服装も随分厚着になってきた。

与志子と西山は、テーブルを挟んで向かい合っていた。

与志子は、西山が懸命に喋っているのを無視するように窓の外を眺めていた。

散々迷った挙句、与志子はこの店に来てしまった。

与志子は心の中でまだ、ここへ来てしまった事を後悔していた。

小山が息を切らして、店に入ってきた。

「ハァ、ハァ、ハァ、・・遅れてハァ、ハァ、すまん」

小山は前屈みになり、両手を膝に付けて話した。

「何分、もう、おっさんだから、許してくれ」

小山は呼吸を整えながら、西山の隣に座った。

「監督、紹介します、彼女が与志子さんです。」

「与志子さん、こちらが、小山監督です。」

西山が紹介した。

小山と、与志子がお互いの顔を見ると、二人とも一瞬固まってしまった。

「あれーぇ、貴女は俺がいつも行くコンビ・・・・・」

小山は驚いた。

「あっ、貴方は、いつも・・・・」

与志子は小山を見て思わず笑ってしまった。

「なに?監督、知っていたんですか?」

西山が小山に聞いた。

「ん、いや、なに、まあ、そんなとこだ」

小山は、バツが悪そうに鼻の頭を掻いた。

「一生懸命、探したのに・・・灯台下暗し・・とは、こう云う事を言うんだな。」

小山が照れ臭そうに言った。

「まさか、貴方のような人がAV監督とはね」

与志子が言った。

「すみません、見たとおりの下衆な男です。」

小山は頭を掻いた。

「与志子さん、悪いがいきなり本題に入らせてもらうよ。」

小山は言った。

「ごめんなさい。その前に西山さんは席をはずしてちょうだい」

与志子は小山に頼んだ。

「西山ちゃん、悪いが頼むよ」

小山は西山に言った。

「俺はすっかり嫌われ者だな」

西山は少しムッとして席を立った。

西山は、与志子の白い裸体が忘れられず、一度は抱いてみたいと思っていた。

「西山ちゃん、嫌いなの?」小山が聞いた。

「・・・・・・」

与志子は無言であった。

小山は今改めて与志子を至近距離で見て、素ッピンなのに美人だなとつくづく思った。

黒髪を一つに束ねてポニーテールにして、鼻筋が綺麗に通って、情熱的な唇をしている。

与志子が素肌に直にウールのセーターを着ているので、豊かな胸の谷間が小山には眼の毒であった

「じゃあ、本題に入らせてもらうよ」

小山は真顔になった。

「実は、俺の知り合い・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・と、言う訳なんだ。」

小山は今までの経緯を与志子に話した。

「じゃ、今、彼は本村興業の会長のものになっているの」

与志子は聞いた。

「まあ、そういう事だ」

小山が答えた。

「すまないが、あまり時間が無い、返事は早くほしい」

小山が済まなそうに言った。

小山が急ぐのは、章吉のことを心配していたのだ。

早くあの檻から、章吉を出してやりたいと思っていた。

与志子は下を向いたまま考え込んでいる。

章吉にはすごく逢いたい。

でも、たとえ、この作品に出演しても撮影が終わればまた、章吉と離れ離れになってしまう。

また、離れ離れになるのなら、このまま逢わずに忘れた方がいいのではないか。

それと、ボブとオスカーと交尾を重ねてしまった自分が今さら章吉と顔を合わせられない。

与志子の心は揺れた。

与志子が顔を上げて言った。

「小山さん、ごめんなさい。」

与志子は頭を下げた。

「・・・・・」

小山は肩を落とし無言のまま下を向いた。

「撮影が終わって、また、彼と離れ離れになるのなら、このまま忘れたいの」

与志子の眼から涙が落ちた。

「与志子さん、貴女本当に章吉が好きなんですね・・・・解りました。」

「貴女の事は諦めます。」

小山がしょげた声で言った。

与志子は下を向いたまま泣いていた。

「与志子さん、泣かないで下さい。」

「貴女の気持ちも考えず、自分たちの都合だけで貴女に嫌な思いをさせてしまった。」

「本当にすまんです。」

小山は頭を下げた。

「いや、いいんです、自分で勝手に泣いているだけですから。」

与志子はハンカチで涙を拭きながら顔を上げた。

その時、小山のポケットの携帯が鳴った。

田中からであった。

「小山だ」

携帯を耳に当て、返事をした。

「監督、そちらはどうです。」

電話の向こうで田中が聞いた。

「ん、ああ、ダメだ、交渉不成立だ。」

小山が残念そうに言った。

「監督、喜んで下さい、一人ゲットしましたけど。」

「なに、田中ちゃん、でかしたぞ」

小山の顔が明るくなった。

「でかしたか、どうか分かりませんけど、取り敢えずゲットです。」

田中は少し不安そうな声であった。

「そこで、今から彼女に章吉を見せようと思いまして」

田中が言った。

「解った、俺もこれからそちらに行くよ、動物商で合流しよう」

小山は携帯をポケットにしまった。

「与志子さん、忙しいところ済まなかった」

「今日の事は、もう、忘れてくれ」

「急ぎの用事が出来たので、じゃ、今日はこれで失礼します」

小山はレシートを取って席を立とうとした。

「代わりが出来たの?」

「良かったわね」

与志子が言った。

「ありがとう」

小山がニコッと笑った。

良かったわねと言葉では言っても、章吉が自分以外の女を相手にすると思うと、与志子の心は複雑であった。

小山が二、三歩、歩いて止まった。そして振り返り言った。

「そうだ、与志子さん最後に章吉を見てみますか?」

「エッ」

与志子は突然の申し出に驚いた。

与志子の心は揺れた。

与志子は再び下を向いて考え始めた。

その時、与志子の手を握る者が居た。小山だ。小山が与志子の手を引き言った。

「動物商は章吉だと言うが、私は、まだ半信半疑なのです」

「貴女なら、章吉かどうか解るはずだ。」

「オランウータンが、いくら大人しくても、あの牙と馬鹿力だ。」

「人間に慣れていなかったら、相手が大怪我をするかも」

「たのむよ、与志子さん。」

小山は与志子の手を引き歩き出した。

「解りましたから、手を離してください」

小山は与志子の手を引いて、レジの所まで来てしまった。

「あっ、す、すみません」

小山はフッと我にかえって苦笑いした。

「西山ちゃん、悪いけど乗せて行ってくれよ」

離れた席に居た西山に小山は頼んだ。

「いいですけど、何処へ行くんです」

西山が聞いた。

「章吉の所さ」

小山はレジでお金を払った。

「エッ、小山さん、俺は行きたくない」

「あんなエテ公なんか見たくないですよ」

西山が言った。

与志子が少しムッとした。

「小山さんタクシーで行きましょう」

与志子が語気を荒げて言った。

「あん、あ、ハイ」

小山は与志子の顔を見た。


タクシーがペットショップの前で止まった。

店の前で与志子は立ち止まった。

小山は与志子がまだ心の中で迷っているのが解った。

「さあ、ここまで来たんだから」

と言って、与志子の手を引いて店に入った。

小山と与志子は店の中へ入って、動物商の男に「もう一度見せてほしい」と、お願いした。

「今、獣医が検診しているところなので、もう少し待って頂けますか」動物商が言った。

「解ったよ。でも、窓から見るくらいならいいだろう」小山は尋ねた。

動物商は、仕方ないなという顔をして、「どうぞ」というゼスチャーをした。

大型動物との境のドアの所に来たら、与志子は止まってうつむいてしまった。

「さあ、与志子さん見て」

小山がドアのガラス窓を指して与志子に話しかけた。

「ごめんなさい、やっぱりダメ」

与志子はうつむいたままである。

章吉を裏切った与志子は、恥ずかしくて章吉の顔が見られない。

「お願いだ、一目だけでいい、本当に章吉かどうか知りたいんだ」

小山は必死で頼んだ。

与志子はチラッと窓ガラス越しに見た。

「元気が無いでしょう、かわいそうに」

小山が言った。

「・・・!」

「・・・どうして、此処に。」

「エッ、・・エッ」与志子は思わず窓ガラス向こうに居るオランウータンを凝視した。。

与志子は訳が解らず動揺していた。

それもその筈である、今、獣医に診てもらっているのは、日本に居る筈のないオスカーが居るのだから。

「与志子さん、どうしたんだ。」

「章吉なのか?・・どうなんだ」

小山は動揺している与志子に確認するように尋ねた。

「・・・・・違うわ」

与志子は少し冷静さを取り戻していた。

「章吉じゃないのか・・・やっぱり」

「これで、今回の撮影は中止だな。」

小山は窓の奥を見据えて言った。

「いいえ、大丈夫」

「・・・彼なら大丈夫よ」

与志子は呟くように言った。

「エッ、なぜ解るんです?」

小山は与志子の顔を見た。

「私だから解るのよ」

与志子は笑みを浮かべて言った。

小山がもっと詳しく聞こうとした時、検診が終わったらしく、獣医が出てきた。

出てきた獣医が女であったので、小山は少し驚いた顔をした。

女獣医は、小山達を見ると軽く会釈した。

顔を上げた時、与志子と眼が合った。

女獣医は、与志子の顔を見るとハッとした表情をした。。

「先生、どうですか?」

動物商が女獣医に聞いて来た。

「あッ、は、はい。」獣医は我に帰った。

「ストレスが相当溜まっているみたいですから、早くもっと広い場所に移した方賢明かと。」

動物商に状況を説明しながら、女獣医は歩き出した。

与志子は思った。「彼女は私のことを知っている」

それに私と同じ「におい」がする。


「キャハハハッこれ見て、チョウかわいい」

急に店の中が騒がしくなった。

「キャッ、これも、か・わ・い・い」

小山と与志子は声のする方を見た。

「たなかさん、これ買ってよ」

「ん、田中だと」

小山はもしやと思い、身を乗り出した。

「あっ、監督、早かったですね」

田中が小山を見つけた。

「与志子さん、お久しぶりです」

田中は与志子を見つけると言った。

「あっ、は、はい」

与志子は解らず返事をした。

「与志子さんは覚えていないでしょうけど、あの別荘での撮影の時に僕は助監督で居たんです」

田中が説明した。

「あ、そうですか」

与志子は顔が少し赤くなった。

あの時の章吉との交尾を見ていた人だと思うと、なぜか恥ずかしくなった。

「監督、彼女が承諾してくれました、白浜渚ちゃんです」

田中が紹介した。

小山は女を上から下までザッと見た。

(顔は、まあまあかな、スタイルはと、胸が大きい何カップかは解らないが、90cm以上は有るだろう。)

与志子も彼女を見て、この子がオスカーの相手なのね。

与志子は少し嫉妬した、この子が私のオスカーの相手をするっていうの、と思った。

「こちら、小山監督」

田中が言った。

「はじめまして、こや・・」

小山の挨拶の途中で彼女が言った。

「きゃ、素敵な監督、その白髪交じりのところがまたいいわ」

渚は小山に近づきながら胸を押し付けていた。

「お、そ、そうか、」

小山は頭を掻きながら、押し付けられた胸の感触が気になっていた。

「よろしくお願いします」

と言って、尚も、胸を押し付けた。

「さあ、渚ちゃん、行こう」

小山がうれしい様で、困った顔をしていたので、

田中が女をオランウータンの所へ連れて行った。

「うれしそうでしたわね」

与志子が小山の顔を見て言った。

小山が恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

「キャッ、思っていたより大きい」

「でも、縫いぐるみみたいで、か・わ・い・い、キャハハハ」

「キャッ、うごいたわ」

渚の奇声はドアの外にも聞こえていた。

「頭の中にそよ風が吹いていても良い、とは言ったが、あれじゃ台風で脳ミソが吹っ飛んでらぁ」

小山がため息をついて言った。

「なぜ、僕が返事は早く欲しいと急かしたかと言うと、あのままじゃ、近い内に病気になってしまう。」

「早くあの檻から出してやらないと」

小山は心配そうな顔をした。

与志子も窓越しにオスカーを見ようとしたら、田中達が出てきた。

「アハッ、あのゴリラ、私のボディにクラクラね」

渚が言った。

「あれは、ゴリラじゃなく、オランウータンって言うんだ」

田中が渚に向かって言った。

「何だっていいじゃない、どうせ、お猿さんなんだから」

渚が言った。

与志子はその言葉を聞いて少しムッとした。

こんな子がオスカーの相手なんて許せない。と与志子は思った。

「どう、この仕事請けてくれる?」

田中が渚に聞いた。

「う〜ん、渚、請けてもいいかなぁ」

渚が言った。

「やっぱ、もう少し、考えさせてよ」

渚が少し考えてから言った。

「あまり時間が無いんだ、明日返事をもらえるかな」

小山は苛立っていた。

「うん、いいわよ」

渚が言った。

「じゃ、渚ちゃん、送るよ」

田中が言った。

「田中ちゃん、俺達もたのむ」

小山が言った。

帰りがけに与志子が動物商に先程の女医の事を尋ねた。

「山手にある○○大学霊長類研究所の○○モンキーセンターの山野という獣医さんですよ」

「山野・・・」

与志子はしっかりとその名前を覚えた。

店を出る時、与志子は何度も後ろを振り返り、別れを惜しむかのようにドアの窓を見詰めた。


車は渋谷の交差点で止まり、そこで白浜渚を降ろした。

白浜渚は帰りの車中で、喋りっ放しであった。

「ふーっ、よく喋る女だ、話を聞いているとオジサンは疲れるよ」

小山はホッとした顔をした。

「でも、ルックスとボディは合格ですよね。」

田中が運転しながら小山に聞いた。

「ああ、まあ合格だ」

「それにしても頭の中身がなぁ、ありゃ、ゆとり教育の弊害だな」

小山が窓の外を見ながら言った。

与志子は車の中で、渚の話をずっと黙って聞いていた。

こんな女が彼の相手をするなんて嫌よ。と思っていた。

そして与志子は迷っていた。

どんな理由でオスカーが日本に来たのは解らないが、相手がオスカーだということ。

それと、あんな子が彼の相手なんて許せない。

「田中ちゃん、スタッフにスタンバイの準備をさせておけよ」

小山が言った。

「もう、準備は全て揃ってますよ、後は、渚ちゃんと、出航の日取りだけです。」

田中が答えた。

「一ヶ月くらいは無人島で野宿になるぞ、皆にそう伝えてくれ」

小山は仕事の時の厳しい顔になっていた。

小山が、携帯で本村に今までの経緯を説明して出航の日を決めた。

「彼女がOKしてくれたら、次の日に出航だ。」

小山が言った。

与志子はまだ迷っていた。

「与志子さん、近くまで来ましたけど、ここからどう行きますか?」

運転手の田中が聞いた。

「あっ、すみません、二つ目の信号を左に曲がって下さい。」

与志子はハッと我に還った。

車は二つ目の信号を曲がった。

「もうこの辺でいいです。」

与志子が田中に伝えた。

車はウィンカーを出して道路脇に止まった。

「与志子さん、今日は本当に無理を言ってすまなかった。」

小山が謝った。

「いえ、いいです。」

与志子はドアを開け、降りようとしていた。

与志子はまだ迷っていた。

与志子がドアを閉め、考え事をしているようなので、小山が心配して声を掛けた。

「大丈夫ですか?」

小山は心配していた。

「ああ、はい。・・・・」

与志子は答えた。

「それじゃ失礼します。」

田中と小山が別れの挨拶をした。

車が動き出した時、与志子が声を掛けた。

車は急停車した。

「小山さん、私、やります。」

与志子が答えた。

「エーッ、本当ですか」

小山と田中が一緒に言った。

「でも、ギャラは前作より弾んでもらいますよ」

与志子は言った

小山と田中は驚きと、嬉しさが混じった表情で顔を見合わせて、思わず叫んだ。

「ばんざーい、やった。」

もう10月も終わりの秋であった。



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