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2007/04/08(日)

今さらながら白状するが、私はラノベが嫌いだ。(テンプレ略)

嫌いな理由の最大の部分は、それがクズだからだ。ストーリー的にどうこうとは言わない。無論、ストーリー的にもダメダメなのだが、それ以前に文章がダメだ。文末がすべて過去形の「た」で終わっていたり(最初は何かの効果を狙ってわざとそうしているのかと思ったが、どうも素でやっているらしい)、文章1つで改行してしまったり(そうまでして紙数を稼ぎたいのか? アイディアが足りないならそもそも書くべきじゃ無いんじゃないか?)、とにもかくにも金払ってまで読みたいようなシロモノではない。

嫌いな理由の補足的な部分は、それがクズだからだ。人間というものは意外と環境の影響を受けやすい。いや少なくとも私の場合は、本を読んでいると、思考形態とか文章表現とかが、読んだ本に影響されやすい。クズな文章を読むと、俺の文章までクズになる。もともとクズな文章かもしれないが、だったらなおさらこれ以上クズになっては困る。だからクズな文章の塊であるラノベなんか、絶対に読みたくないのだ。

私が初めて「ライトノベル」なるものを読んだのは、もう20年近く前になるだろうか。題名なんかとっくに忘れたが、とにかくひどいシロモノだった。上述の「最大の理由」に書いたクズな特徴をすべて備えていた。頑張って本の半分くらいまで読んで、これは商品なのであって書籍ではないのだということにようやく気がついた。この本が店頭に置いてあるのは売ること(つまり金を払ってもらうこと)が目的であって、読んでもらうことではないのだ。だから中身は要らない。なにか文字を連ねて余白を埋めておくだけでいいわけだ。

まあいくら私でもその1回だけでラノベ嫌いになったわけではない。たまたま質の悪い作品に当たってしまっただけかも知れない。その後、時を変え、出版社を変え、立ち読みも含めて3〜4回はラノベを読んでみただろうか。最初のものほど酷い作品はさすがになかったが、やはり「普通の小説」と比較すると質が低いのは事実のように感じられた。

以後、ラノベに関しては何も期待しないことにした。こんなものはクズなのだ。

ところで、かの有名な「スタージョンの法則」というものがある。すなわち「SFって9割はクズだよな。まー、どんなもんでも9割はクズなんだけど」というやつだ。9割がクズであるということは、良作に巡り会うためには少なくとも10冊は読まないとならないことになる。3冊、4冊ではぜんぜん足りない。

うむ、しかしSFに関していえば、クズに当たる可能性は低いように感じられるな。もちろんクズがまったく無いわけではないが、クズの割合は確率的には2〜3割くらいに思える。

翻訳作品ばっかり読んでたら、そりゃ当たり前だってーの。それなりに質のいい作品だからこそ、翻訳されるんでしょ。

ああ、そうか。ということは、翻訳作業のようなフィルタがかかっていない「国内作品」はクズの割合が増えるわけだな。それに国内作品であっても、時代小説みたいにある程度の蓄積があるジャンルだと、過去の作品と比較してあまりにもダメな作品は市場に出てこない(ボツにされる)。と言うことは、ジャンルとして蓄積の少ないラノベだと比較基準になる「名作」「良作」が少ないから、スタージョンの法則がストレートに効いてくるわけだ。


ラノベほどではないが、私は流行りモノも嫌いだ。「今、売れてます!!」みたいなポップが付いていると、それだけで買う気が失せる。どうして、世の中みんなでもてはやしているものを、私まで買わなきゃならんのだ。すでに売れまくっているなら、わざわざ俺が買わんでもいいじゃないか。てゆーか、他人の価値観に合わせて行動するなんて、まっぴらごめんだぜ。

最近の流行りモノで特に目に付くといえば、ハルヒのシリーズがあるな。最初はすぐに人気が沈静化するかと思っていたが、なんだかんだと横展開しつつ人気を維持しているようだ。流行りといいつつも、すでに2年目か3年目になるんじゃないか、この人気は。

手を出すのは人気が失せてからにしようと思っていたのだが、このままだと人気が無くなるのがいつになるかわからん。と言うわけで、とりあえずDVDアニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」1巻と2巻をレンタルで見てみた(1ヶ月前の話だが)。あのメガネ娘、セリフ無いなー。てか、さりげなくハイペリオンなんか読んでんなよ。しかもハードカバーで。金のない中高生はやっぱ文庫版だろーが。

とりあえず2巻まで見たところで、なんとなくオチが予想できたような気がしたので終了。まあ、私の予想が当たっているかどうかは、実際に最後まで見ないと分からないわけだが。それを確認するためだけに流行りモノに乗っかるってのも、なんか悔しい。うむぅ。

ところで、アニメを見たのが1ヶ月も前なので既に記憶が曖昧だが、「山並みの向こうからゴジラでも出現しないかなー」みたいなセリフ(これアニメの中にあったよな? 記憶違いか? まーいーや)って、けっこう流行ってるのか? セリフによっては山並みだったりビルの向こうだったり、ゴジラだったり怪獣だったりするようだが、マンガやらアニメやらでけっこう類似のセリフを見聞きしたことがあるような気がする。

おそらくクラスに1人くらいは、そういうセリフを言う奴がいるもんなのだろう。つまり、そう珍しいセリフじゃないってことだ。

私がこのセリフに初めて遭遇したのは高校生の時で、そのセリフを言ったのは私自身だったが。(ぉぃ

いや春先の陽射しのいい時期で、窓からぼーっと外を見てると風がそよ〜っと吹き抜けてったりして、世はなべて事も無し。平和だ。良き哉、良き哉。そんな気持ちよく日向ぼっこしている俺に「なんか悩みでもあんのか、ため息ついたりして」と語りかける級友。いやいや満足のため息ですがなにか。しかしこの平和な満足感を説明するのも面倒だ。

「いやぁ、こうして日向ぼっこしてるとなあ……」勘違いされたままってのも、困るかなあ。

「うんうん、青春に悩みはつきものだ。俺が聞いてやる。言ってみろ」そうじゃないんだが、日常どっぷりゆえの幸福感をどう分からせたもんかねえ。

「あの山の……」

「……山がどうした?」

「向こうから、ゴジラでも出てこねぇかなあ」

「……お、お前の悩みは理解を超えてるな」

いやその、俺としては平和でうららかな春の日常を楽しんでいたわけで、ここまで素晴らしい日常に比肩する非日常となったら、山向こうからいきなりゴジラが現れることくらいしか思いつかなかった。核戦争勃発とかそういうリアルの延長上にある非日常では役者が足りない。空想の産物であるゴジラが、何の脈絡もなく現実に乱入するほどの非日常はあるまい。日常と比較するために非日常を持ってくるのは変な気もするが、海の深さを表現するために「エベレスト○個分」と言うようなものだ。って、誰に向かって言い訳してるんだ、俺は。

まあ、だからって願望表現のような言い方をしたのは、極めてまずかったかも知れないが。

ところで、ハルヒシリーズは小説やらマンガやらいろいろあって、どれが最初なのやらよくわからん。Wikipedia で調べてみたところ、どうやら小説版が原作となっている用だが……。でも「スニーカー文庫」って、思いっきりラノベじゃん!!(これが2週間前)

小説になっているのはありがたいが、ラノベはなあ。というか、あのハルヒをラノベ文体でどう書いたと言うんだ。アニメ化でそうとう膨らませてるんじゃないのか。

本屋さんの店頭でハルヒシリーズを見つけたので、ちょっと立ち読み(1週間前)。おお、書き出しの文章がアニメ版とまったく同じだ(逆だ、逆)。さすがに1文1改行では書いていないようだな。文章のリズムもいい。ふぅむ……だがラノベである以上、俺に読んでもらえるなどと思うなよ(←何様だオマエわ)。

だいたい、ラノベで流行りモノなんて、二重苦もいいとこじゃないか。しかも最近になってまた新刊が出た? やれやれだな。何がそんなにいいんだか。まあ、この設定のこの話にどんなオチを付けているのかは興味があるが、というかちょっと気になることは確かだが、だからって読むほどの価値があるか? いや価値があるかどうかはともかく、ラノベだぞ、ラノベ。普通の小説だったら買っていたかも知れないが、ラノベじゃなあ。

ん〜、まあ仕方ない。どういうオチになるか確認するために、最初の1巻だけ買ってみるかな。

いいか、勘違いするなよ。別に「面白い」とか「良作」とか認めたわけじゃないんだからな。ラノベで、そのうえ流行りモノなんて、本来ならまともに相手しないんだからな。た、ただオチがどうなるのか確かめるだけ何だからな。仮に面白かったとして、いや認めないけどそんなこと、つまりその、2巻目以降を買うなんて期待してんじゃないぞ、ラノベのくせに。

てわけで、これから文庫版のハルヒ買いに行ってきます。

……な、なによその目は。み、認めたわけじゃ無いって、言ってるでしょ!! デレデレしないでよ!! ふんっ、だ!!


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