【第1弾 2002/07/10】推理小説/夕立・解決編


「よろしい、私が説明しましょう」そういうと、獣合馬之介(じゅうあい うまのすけ。私立探偵。32歳)は一歩進み出た。

「まず、何をもって、奥さん……加代さんが犯人ではありえないのか、ご主人の相馬平太氏を殺害できたはずがなかった理由は何なのか、そこから始めましょう」ちなみに命名はいい加減にやっているので、あまり気にしないように。「我々が、ただ一人姿の見えなかった奥さんを捜してこの部屋に入ってきたとき、奥さんはちょうど飼い犬のイワオから離れようとしているところでした」いい加減に命名しています。「そして、その時の奥さんとイワオの状況こそが、この人が犯人ではありえない理由なのです」

「ち、ちょっと待ってくれたまえ、獣合君」さっそく混乱してきたらしく、犬持警部(けんもち たかお。千葉県警警部。本日非番の48歳)は滝のような汗を拭きふき横やりを入れてきた。「その状況こそが、って言われたって、わしには何のことだかわからんよ。何しろ奥さんはその時、は……、はだ……、はだ……」どうしてもその言葉が言えないらしく、犬持警部は薄い頭を茹でダコのように赤熱させた。

「そう、奥さんは裸でした」こともなげに、馬之介は言い切った。犬持警部はなにやら恨めしそうに彼を睨んだ。「ですが、単に彼女が裸だったということが重要なのではありません。その時のイワオの様子もまた、非常に重要なのです」

意味するところを理解してか、加代夫人は顔をそむけ、うつむいた。

「イワオはそのとき、ちょうど射精し終えたところでした」

馬之介は言葉を切った。加代夫人はうつむいたまま、何も言わなかった。遊びに来ていた加代夫人の友人、白鳥璃紗嬢(しらとり りさ。独身の美人OL27歳。なぜか男を寄せつけないタイプ)も、強ばった表情で口許を引き結んでいる。

「うん、それで?」場の雰囲気を無視して脳天気に質問を提示してくれたのは、やはり犬持警部だった。あーあ。馬之介は声に出さずにため息をついた。加代夫人も、璃紗嬢も、このトウヘンボク!と言う代わりにため息を漏らしている。「そ、れ、で、どうなんだよ?」自分が非難されたことだけはわかるらしく、犬持警部は声を荒げた。

「つまりですね、犬持警部」あえて視線を合わせないまま、馬之介は説明的セリフを吐いた。「奥さんはその時まで、彼女の飼い犬であるところのイワオと、性行為を行っていた、ということです」

犬持警部はのけぞった。おそるおそる夫人の顔を盗み見、なんでこんな美しい方が犬なんかと、亭主が気に入らなかったというわけでもあるまいに、いやたとえそうだとしても私が私が私がいるではないですか、ねえ奥さん、と思考ダダ漏り状態で懊悩して見せた。

「そしてもう一つ重要なことは、ご主人の相馬氏が殺害されたとおぼしき時間です」馬之介は淡々と言葉を紡いだ。ここから先が重要になってくるのだが、犬持警部が聞いていなかったとしても、それは彼の責任というものだ。「相馬氏が殺害されたと思われるのは、我々が加代夫人を見つける、わずか10分から20分前のことです。死体が発見されたのが10分前でしたし、20分前には我々と一緒にいましたからね。殺人はほんのわずかの間に、それこそ我々の目と鼻の先で行われたのです」

「そ、そ、そ、そうだとも。そのとおりだよ、獣合君」目玉だけは加代夫人に向けたまま、犬持警部は馬之介に向き直って言った。「だからこそ、我々は加代夫人を捜したのだろうが。夫人にも危険が迫っているかもしれなかったし、あるいは、あるいは……その、夫人こそが」

「夫人こそが、夫殺しの犯人であったかも知れないわけですからね。でも、そんなことはあり得ないのです」

「なぜ? 相馬氏と最後に会ったのは、夫人の加代さんのはずだぞ」

「なぜなら、イワオの様子から見て、夫人とイワオとの結合(犬持警部はびくっと頬を震わせた)は、単なる性器の挿入(警部の頬肉はゼリーのように振動した)というわけではなく、挿入したままペニスの付け根が内部で膨れあがる(唇の端から、よだれが糸を引いて落下した)、いわゆる『交尾結合』だったからです」

「こ、交尾結合!?」新奇な言葉を耳にした小学生のように目を輝かせて、犬持警部は聞き返した。

「この状態になると」馬之介は無視した。「結合してから射精が終わるまで、ペニスを抜くことは、ほぼ不可能になります」

「抜けなくなるのかっ?」

「30分ほど、ね」馬之介は犬持警部の肩に手をかけ、ぐい、と引き寄せて言った。「わかるでしょう? 我々がこの部屋に入ってきたとき、夫人とイワオはちょうど交尾を終えたばかりだった。つまり、それ以前の30分ほどは、夫人はろくに身動きもままならない状態だったはずなのですよ」

「30分……?」痴呆のようにくり返す犬持警部。

「そう、30分です。そして、相馬氏が殺害されたのは、せいぜい20分前。奥さんに、出来るはずはないのですよ」

「あっ!!」

馬之介は、ゆっくり頷いた。「おわかり頂けたようですね」

「すると、すると、奥さんは自分の旦那が殺されている間、飼い犬とお楽しみの最中だったということかっ!! では、誰が!?」

「一人しか、残っていないでしょう」なんでこのオヤジはそういう下品な言い方をするかな、とやや辟易しながらも、馬之介は残りの一人に警部の注意を向けた。「それにね、さっきから少々気になっていたのですよ、璃紗さん。相馬氏の死体が発見される数分前、あなたはお手洗いに行きましたが、その前と後とでは、あなたの髪の束ね方がすこし違っているように思えましてね。髪を束ねているそのリボン、ちょっと調べさせていただけませんか、死体の首に付いている絞殺痕と一致しないかどうか」

蒼白になって、佇む璃紗。

「おそらく、あなたは知っていたのでしょうね、加代夫人が部屋に引きこもったのは頭痛のせいではなく、イワオとの情交のためだったと。そして夫人が結合した頃を見計らって、わざわざ部屋の外から声をかけたりした。だがあれは、むしろ我々……私と犬持警部に聞かせるための会話だったのでしょう。いや、相馬氏にかもしれませんね。氏は、奥さんが何をしていたか、もちろん知っていたはずですから。そして、行為を邪魔させないために相馬氏がやってくると、殺した。おそらくは、予備に持っていたリボンで。それから何くわぬ顔で我々のところに戻り、しばらくしてから、お手洗いのついでに相馬氏を呼ぶと言って席を立つ。あとは、元々使っていたリボンを捨て、死体の首に巻き付いていたリボンで髪を束ね直すだけ。元から使っていたリボンなら、捨てられた後で見つかってもどうと言うことはないし、それに当初からリボンで髪を束ねていた以上、そのリボンが途中で入れ替わったとしても、気がつく人間などそうはいませんから……」

「そんな……なぜ、なぜそんなことをしたの?」加代夫人は信じられぬという目で、親友であったはずの女を、見つめた。「あの人を殺す理由なんか、なにも無いじゃない! なぜなのっ!?」

「好きだったのよ……」絞り出すように璃紗は答え、そして床にへたり込んで、泣いた。「好きだったのよ!! でも、あなたには、わからないでしょう……あんな、いい旦那さんに恵まれた、あなたには!!」

「啼かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス、か」犬持警部がつぶやいた。璃紗がさっと振り向いて彼を睨みつけた。無神経な男だった。だが、ときにはそれが救いになることもあるだろう。今のような場合は、特に。

警部を憎々しげに睨むその肩に手を置き、馬之介は静かに言った。「何も、言わなくても結構です。……もう、いいんですよ」徐々にうなだれてゆく頭から、やがて泪がこぼれ落ち、さめざめとしたすすり泣きへと変わっていった。

そうして、夕立のように突然降りかかった事件は解決し、やっとのことで到着した警官たちがたむろする中、獣合馬之介は、屋敷を後にした。

ほんの数日だけの知り合いだったが、仲のよい夫婦だった。その夫婦の上に訪れた運命を、だが、誰に食い止められただろう。

屋敷から浜辺へと下っていく坂を下りながら、しかし彼の脳裏に浮かぶのは、報われぬ望みに身をゆだねてしまった、璃紗の面影だった。だが、彼女の心は、誰も知ることは無いだろう。彼女が真実に求め、殺人を犯すまでに思い詰めた恋の相手が、イワオであったことは。相馬氏を殺害し、その罪を妻である加代夫人に着せ、そうして引き取り手のなくなったイワオを自分のもとへと連れてゆく。そう、その想いは、けっして誰にも知られることはあるまい。よき夫に恵まれた加代にも、唐変木の犬持警部にも、けっして……。

- 完 -



[目次] [第2弾へ]