その昔、都にひとりの娘がいた。容姿たいへん美しく優美であったので、外の風にもあてず、深窓にて大事に大事に育て上げられた。月日が経ち、やがて娘が成人すると、父母はだれか世に認められた人物と結婚させようと、準備を始めた。
ところがそれを聞いた彼女は、嬉しがるどころか、むしろ嫌で嫌でたまらないといった様子で、父母に恨みごとを言い、悲嘆した。
「どうしてもというのなら、髪を切って出家して、世を捨てます」真剣ながらも、つらそうにそう言うのだった。
親戚も総出で思いとどまるよう頼んだが、とうとう、乳母の娘ただ一人を連れて、どこへともなく行方をくらませてしまった。
この乳母の娘もまた、容姿のずいぶん可愛らしい娘で、行方知れずになるのをあきらめきれる人など居はしなかった。が、彼女も実は普段から同じように思っていたようで、誰かと結婚するなど煩わしくてかなわぬとばかりに、鳥の声さえしないような深い山の中へゆき、二人それぞれに粗末ながら庵を建てて住むことにした。ところが娘の父母はどうやってか二人の居所を探り当て、山林をかき分けて訪ねてくると、血の涙を流さんばかりにしてかき口説いた。二人はそれでも、家に戻る気配を見せない。
誰であろうと、子を思い、どうしたらよいかと惑わない人間などいない。いかにもという立派な相手を選んで会いに行かせたりもしたのだが、なお、それが五月蠅いのだと言われる始末である。もういちど居所を変えて他のところへ逃げてやるから、などと言われてしまっては、ただもう、二人の好きにさせて過ごさせるしかなかった。そうこうして時が過ぎゆくうち、あるとき、毛色に白斑を散らした美しい犬がどこからともなく現れ、乳母の娘の庵に尾をうち振ってやってきた。餌を与えて撫でてあげたりしたのだが、この犬、存外に人好きして甘えてくるのである。
もの寂しい生活がつづくうちに、いつのころからか彼女はこの犬と添い寝し、愛し合い、それを慰めにして日々を過ごすようになった。思い悩み、恐ろしいことだと思わないでもなかったが、思いがけずも懐かしい面影のあるような気もして、この犬にたいしては心を開いてしまう。やはり前世の縁が深かったのであろうか、この犬のなんと愛おしいことかと思うとともに、我ながら浅ましい思いがして心は晴れない。
そんなある日のこと、主である娘がこの乳きょうだいの庵に来て、思い出話やらこの先のことやら、まあ要するに雑談に興じていた。夏なので薄手の着物を着ていたのだが、ふと見ると、乳きょうだいの肩にたくさん犬の足跡がついている。
「ちょっと、それ、いったいどうしたのよ」
不審に思って聞いてみたが、相手にしてみればまさか事実をそのまま言うことなど出来るわけがない。その悩ましげな様子に、これはどうも尋常なことではないと彼女は悟った。
「別に……どうしたわけでも、ありませんが……」
そう言い逃れようとするところを、さらに強く詰問すると、抗弁する気力も失せたのか一言だけ、
「私の庵を、そっと覗いてみて下さい」と、答えた。
なんとも妙なこととは思ったが、以後、つねに彼女の庵を窺うことにした。してみるに、なんということか、犬といっしょに寝ているのである。
目の前が真っ暗になるような衝撃を受けたが、同時に今までの山中の生活が、なんとも心許なくやるせないものに思えてくる。さっそく自分の庵に呼び寄せると、彼女は夫婦の契りを結んだ。こころ魅かれ、愛おしいという思いが、かつてないほどわき上がってきた。
あさましや、なと けたものにうちとくる
さこそむかしの契りなりとも
あさましいことよ、なぜ獣などと情を交わしてしまうのか
きっと前世の因縁なのではあろうが……
人の身でありながら犬と深く契ることは、めったにあることではないと思ってよい。こういったことも過去の前世からの縁であるから、事物の真理というものを理解していないのであれば、やたらと蔑んではならない。仏の道にどれだけ通じているというのか。とは言え、因縁の深い出来事に遭えば、ただ無力である。
犬の名は、雪々という。