なかなかピンポイントでボケかましてますな、私の灰色の脳細胞は。久しぶりに書いた妄想を、ほんっとうに久しぶりに書いた妄想を、読めない状態にしておくとは。
そんなネタが出来てしまったので、連日更新したりして。いや、妄想は昨日書いた分なのでよろしく。まあ、たいした妄想じゃないけど。しかも書き出し(妄想とは関係ない前文)の内容が、今日の時点ではすでに無意味になってるし。「瑠璃・玻璃」を現界への望楼に登録したから、Entrance Hall のパネルはもう、元の幅に戻ってる。ぐふぅ。
掲示板でいろいろ情報をもらったけど、今日はすでに「瑠璃・玻璃」で更新内容を書いた後だったため、「指名手配書」への反映は明日以降にした。こういうのを「泣きっ面に蜂」とか言うのだろうか。流れが悪いときは、こんなもんかも。
昨日分の妄想について補足……って、こうやってあれこれ言い訳を書くのもすでに定番になったような気が(汗)。ま、まあ、気にせずいこう。
まず本文(古文で書いてあるほう)は、文章が書かれた時代(≠物語内容の時代)を、平安末期〜鎌倉時代くらいを想定している。古文と言っても古くは万葉集とか日本書紀とかの古〜いやつもあれば、江戸時代末期のほとんど現代語じみたのまで、いろいろある。年月でみるとおよそ千年くらい幅があるわけで、当然、言葉も違ってきてたりする。たとえば“あさまし”という言葉は、平安時代なんかだとあまり悪い意味はなかったようだけど、現代に近づくにつれて悪い意味が濃くなってくる。って、古語辞典からの受け売りだが。
そういうわけで、いろんな時代の言葉がごっちゃになっているのは良くなかろうと思えたので、平安末期〜鎌倉時代あたりの言葉遣いになるように(なってくれないかなー、という気持ちで)書いた。実際にそのあたりの時代の言葉になっているかどうか、私には自信がない。というより、そうなっていないという自信はたっぷりだ。
訳文についても言い訳補足を書いておこう。もともと、昨日の妄想を書き始めた時点では、訳文まで書くつもりは無かった。なにせ「現界の望楼が横長になっちゃってるのは 〜 」などと書き始めた時点で、妄想そのものを書くつもりさえ無かったんだし。で、ふと「古文で妄想書いたら、文章の意味が即座に分からないぶん、想像力を刺激されないかな?」と思いついたので、そのまま発作的に書き出す私。この時点では、5段落くらいで軽く終わらせるつもりだったのだが。
それがなんでか知らないが10段落以上の長さになってしまい、書いているうちに「こ、これは元々の妄想となんか違うような……」と自分でも微妙な違和感が発生。うにゅにゅにゅ、と変な唸り声をたてつつも、「元々の妄想はこうだった」というのを再現すべく、訳文も書き始めてしまった。
と〜こ〜ろ〜が〜。いざ訳文を書き始めてみると今度は、「本文(古文)とあまり意味が違っちゃマズイよなぁ(-_-;)」と、自分で書いた古文に自分が縛られる羽目に陥った。自分で書いた古文を自分で訳すんだから何も問題なぞなさそうなものだが、しかし「自分で書いた古文」が本当に自分の意図通りの文章になっているかどうかイマイチ自信が無く、結局、自分で書いた古文を古語辞典を引きながら訳すという、もうハタから見たら何やってんだという作業を延々と。
そういうわけで、本文も訳文も、元々思いついた妄想とはやや違っている。そのうえ、文法的にも、さらには訳としても正しいかどうか定かではないという、実に奇っ怪なシロモノになってしまった。そんなシロモノに関わって午前4時まで起きてたせいで、寝坊してあやうく遅刻するとこだった。まったくもって、何やってんだ、私は。
内容そのものについても、反省点が1つある。これは読むほうの嗜好によっても違ってくると思うが、どうも最近の妄想(or小説)で「孕む」関係のシチュエーションが多くなってきているような気がする。いや、まあ、「加代の物語」からして少しはそんな傾向があったけど、最近ちょっと多すぎないか? もう少し別方向のシチュエーションも模索しておいたほうが良いかも知れない。うむぅ。
ところで犬と言えば、白犬・黒犬のほかの毛色が思いつかん。あ、「赤犬」があるか。金色(黄色)の毛色のときは、なんて言うんだろう。黄犬ってのは語呂が悪いし。虎毛……は黄色と黒が混じってるような語感だしなあ。そもそも、犬の毛色の呼び方なんぞ全く知らないぞ。そんなんでよく、今まで獣姦ものを書いてきたもんだ。うぐぐ。
ま、いいか。……寝よ。
そうだ、おまけ。
この辺りを犬原見(いぬはらみ)と人の言ふなり。