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2003/06/21(土)

1日遅れたが、「乳魂」は「現界への望楼」に載せた。今月は財政がピンチ(またかよ)なので、あまり本を買えない。つらい。

今日、目が覚めたら午前10時だった。「もったいない」と思ったのでもう一度寝た。次に起きたら午後2時だった。「寝てるのはもったいない」と思ったので、そこら辺にあった本を取って読んだ。すぐ眠くなってしまい、また寝た。……という事を繰り返していたら、まったく外に出ないまま1日が過ぎてしまった。睡眠不足だけは解消できたから、まあ良しとしよう。

ゲームほど儚い物は無いかもしれない。今現在、楽しんでいるゲームも、10年後に遊べるかどうかは分からない。というか多分、遊べないだろう。例えば「真・三国無双」はプレステ2用のソフトだが、10年後もプレステ2を使えるかどうかは、かなり不安だ。自分で購入したマシンは故障している可能性が高いし、新しくプレステ2を買うにしても、売っているかどうか。

これは他の種類のゲーム機を考えるとよく分かる。ドリームキャストは既に本体の生産は中止されている。セガサターンもスーファミも、もちろんファミコンも同様。これらのプラットフォーム用に販売されたゲームソフトは、プレイヤーの手元にあるマシンが故障したら、その時点でほぼアウト。

10年後でなく、20年後はどうか。さらに50年後はどうか、と考えると、まあ確実にダメだろう。

ゲームは「文化」と言えるか否か。文化と言えるなら、本気でプラットフォームの保存を考えた方がいい。それも博物館に陳列するようなやりかたではなく、ちゃんとソフトを稼働できるような方法で。しかもなるべく多くの人が使えるように。でないと、50年後にはこの「文化」は完全に失われ、再現することも研究することも出来なくなってしまう。ある意味、焚書なんかより徹底した文化の断絶が起こりうる。書物なら見るだけで内容を知ることが出来るが、ゲームはソフトを稼働させないとどうにもならんからな。

しかし最近のゲームの動向を見ると、プラットフォームの保存だけではどうにもならないかも知れんな。オンラインゲームはある程度の規模のコミュニティ(と言って良いんだろうか)が存在しないと、意味がない。50年後に「21世紀初頭にリリースされたという Final Fantasy 11 を研究したい!!」と思っても、もんのすごく困難であろ。

昨日の話だが、電気仕掛けの電動階段が故障しているのを指して「あ、エレベーター止まってる」などという人間がいた。それはエスカレーターだろ!! いや別に私がそんな風に突っ込まれたわけでは無いのだが。

まあ確かに「エスカレーター」と「エレベーター」は、語感も機能もよく似ているし、言い間違えるのは無理もないと思う。別に私が突っ込まれたわけではないが。しかし愚考するに、語感も機能も似ているのなら、いっそ同じ言葉で言い表すようにしたらどうか。どっちも「エレベーター」で良いではないか。私が突っ込まれたわけではないが。もちろん「エスカレーター」で統一しても構わない。似ているんだから、良いではないか、良いではないか、あーれー。誰に突っ込まれたというわけでも無いけど。

受けを狙ったが、誰にも突っ込んでもらえなかったらしい。そりゃたいしたボケでは無いけど、そのくらい良いではないか。くすん。


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