この物語の最初のアイディアを思いついてから、いつの間にか2年近くもの年月が経ってしまいました。当初はただ、一人の女性とその飼い馬との情交を描くだけのつもりだったのですが、そこに至るまでの理由付けを作ったり、FootNote などの小物を書いたり、まったく他のことに向いてしまった集中力が戻ってくるのを待ったりしているうちに、せいぜい3章で終わるはずの物語が5章(+後日談)に膨れあがり、年が変わるのを2度も経験してしまいました。思えばこの間にも、ほんとうにいろいろなことがあったものです。(遠い目)
それはともかく、やっとこうしてひとつの物語として完成させられたのですから、この作品についての思うところを書いておこうと思います。
まず、平太について。最初のアイディアの時点では、彼は登場しないはずでした。もともとは加代とイワオの物語として思いついたものですし、余計な人間(スマン、平太)に引っかき回してもらいたくなかったのです。
しかし物語の執筆に手をつけてすぐに、一人と一頭だけでは話の展開に無理があることを感じました。実は以前にもいくつか短編で小説を書いたことはある(どこにも投稿していませんが)のですが、それらの時にも、ヒロインと相手役の動物だけではどうも話が単調になってしまっていたのです。ヒロインと相手役が欲情して、交わって、はい終わり。まあ、もともと自分が夜のおたのしみとして書いたものですから、それでも良いと言えばよいのですが。
なぜそんな単調になってしまうのか、自分なりに分析してはみました。たとえば、動物は人間の言葉をしゃべれないので、どうしても会話なしで状況を描写することになります。そのため、誰がなにをやった、どうなった、といった状況描写が展開の中心になってしまいます。起伏をつけるには、展開を早めるしかありません。また、飼い主とペット、または飼い主と家畜といった関係にある場合、ヒロインが主導権を握ることになります。ということは展開を早めると、すぐにヒロインが望む方向に、つまり情交に話が進んでしまいます。情交に及ぶのはこういう小説では一番のクライマックスですから、これをすぐにやられては、話がそこで終わってしまいます。
そこで、ヒロインとの会話などで状況を描写してくれる人物、あまつさえ、ヒロインの暴走を抑止してくれるおじゃま虫(スマン、平太)として、平太を登場させることにしました。
予想外の結果になりました。平太の役割は、状況を語ってくれるレポーター役が第一、そして物語を3章まで引き延ばしてくれる重り役のつもりだったのですが、なんということか、実の姉である加代さんに懸想してしまい、あれやらこれやらのエピソードを追加してくれました。第4章と第5章が長くなったのは偶然ではありません。すべて平太が、加代にあれをしたい、これをしたいとわがままを言ったせいです。私も彼の情熱に負けそうになったことが何度かあり、いっそ思いを遂げさせてやろうかと思ったこともありました。かろうじて、それだけは阻止しましたが。おまえは重し役なんだからさ、平太、そのおまえが暴走してどうする。
FootNote も、そんなもの当初は念頭にありませんでした。これを思いついたのは「スレイブ」という小説(念のため言っておきますが、これは官能小説ではありません)を読んだからです。この小説の HTML 版では註釈にリンクが張ってあって、それをクリックすると対応する註釈の場所に飛んでいくのですが、実際にやってみると、表示位置の切り替えがうるさくて、ちょっと辟易してしまったのです。うーん、どうせ HTML でやるんなら、もっと HTML の特性を活かした方法があるんじゃないかなぁ、HTML ならではの表現方法があるんじゃないかなぁ、などと「おまえ、何様だ」とか言われそうな感想を持ってしまい、それで「こういうのはどうだ」ということでやってみたというのが、実情です。
やってみたら、こんどは私のほうがハマってしまいました。いやぁ、面白いのなんのって。本編のストーリーとは関係ない、あるいは本編に書ききれなかったあれやこれやを、好きなだけ書くことが出来ます。登場人物の心の中で一瞬に浮かんでは消え去った妄想とか、話の流れを邪魔しないように削った文章とか、もういくらでも入ります。うはははははは。
FootNote の欠点は、フレームに対応しているブラウザでないと、うまく表示できないということです。最近のブラウザはたいてい大丈夫だと思いますが。ブラウザが対応していない場合、(おそらく)FootNote 用の別ウィンドウが開いてしまうと思います。
でもこの味を知ってしまったら、もうやめられません。この後また自作小説を書くときにも、やっぱりフレームを使って FootNote を書くことでしょう。
「後日談」は、かなり早いうちから構想にありました。フランス書院文庫とか、ありますよね。ああいう官能小説って、どうして必ずアンハッピーエンドになるのでしょう。ヒロインはもっと幸せになってもよいのではないでしょうか。実際、海外の官能小説では、ハッピーエンドを迎えるものは少なくありませんし。そういうわけで、私は「加代の物語」もハッピーエンドにしたいと思っていました。
具体的にどんな終わり方にするかは決めていなかったのですが、書いてみたらこんな感じになりました。しかしまさか、カミングアウトするとは思わなかったぞ。
すこし心残りだったのが、イワオをあまり活躍させてあげられなかったことです。
もうすこし、加代との心の交流をさせてあげたかったのですが……加代のほうには「イワオが好きっ!!」と言える場面があるのに、イワオには「加代が好きっ!!」と言える(まあ、人間の言葉ではありませんが)場面をつくってやれなかったのは残念。話の本編に割りこませることも出来ず、また適当なとっかかりも無いせいで FootNote にも書けませんでした。
この物語を書くにあたって、私は昔の人の生活ぶりをほとんど何も知らないことに気づいて、愕然としました。あわてて民俗学やら何やらの本を読みあさりましたが、しょせんは付け焼き刃。おそらくまだ、大量の勘違いや無知ゆえの誤りが残っていると思います。
農耕馬は近代になるまでは日本にはいなかったなどと、書き出したあとで今さらどーせいっちゅうねん、ということもありました。なので時代背景はあえてぼかしたままです。いや、時代背景どころか、場所も、季節も、ほとんどすべての背景をぼかしたままにしてしまいました。無知ゆえに、そうせざるを得ませんでした。
そのため物語の中では、加代たちの住んでいる家だけが、まるで霧の中に浮かんだようにぽっかりと存在している感じになりました。でもまあ、これはこれで趣があって良いのではないか、と、思っています。