【第2話】蛇の嫁取り


ほとんど記憶には残っていないのだが、私の曾祖父は変な人だったようで、いろいろと妙なものを収集する趣味があったようだ。布切れを巻きつけた木の棒だとか、表面に墨で女の絵が描かれている石だとか、とにかくよく分からないものをたくさん集めていた。もう10年以上前になるのだが、物置小屋を整理したときは、そんなものが山ほど出てきて私は往生した。捨てるにしても、こんなものどこに捨てたら良いのか、というような物ばかりなのである。

そういった中で、かろうじて私にも何物かが判別できた物が1つだけある。和紙を束ねて帳面のようにしたもので、それには曾祖父の直筆で、あちらこちらで聞きかじってきた奇妙な話がびっしり書きつけてあった。仮名遣いは旧式ではあるものの全体的に読みやすく、何時、何処で、誰から聞き出した話であるかまで記録されていた。

なかなか念の入った書き物であったが、その中にこんなのがある。

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三重県のあたりの人から聞き出した話だそうであるが、今から百年くらいも昔(これは話を聞き出した時のことなので、現代から見れば百数十年前)のこと、ある百姓の娘でたいへん乱暴な女が居たそうである。乱暴と言うより、残酷と言ったほうが良いかも知れない。猫を捕まえて後ろ足を縛って捨てたり、かと思うと雀を捕らえて羽を折り、飛べなくなったそれをその猫の前に転がしていたぶらせたりと、とにかく生き物に対して残酷な仕打ちが多かった。

しかもそういう事を行っておいて楽しんでいるかというと、そうでもなく、妙に突き放したような眼で、苦しみ困っている生き物たちをじいっと見ているだけなのだという。

昔の人は生き物を大切にしたもので、必要がなければなるべく殺生をしなかった。殺生をする際でも、殺した生き物は神様への捧げ物であるという形式にして、人間はそのお下がりをいただくのだという立場をとった。そういう中での女の所業であるから、周囲の人たちからは随分と嫌われたらしい。

さて、その女であるが、二十歳を過ぎた頃からぱったりと残酷な所業をやめた。二十歳と言っても、当時は十五、六で嫁に行くのが普通であったから、やはり嫁に行くことも出来なくて親元に残っていたのであろう。しかしとにかく、二十歳頃から所業は止んだという。それもだんだんと回数が少なくなっていって遂には止めたというのではなく、いきなりぱったりと止んでしまったのだという。

止めば止んだで気になるのが人間と言うもので、女のふた親もこれを怪しんだ。

そこで、それとなく普段の娘の行動を観察してみると、どうも時折ふいと何処かへ出かけている様子がある。出かけていって、すぐ戻るときもあるが、二刻ちかくも居なくなっているときもある。

これはいよいよ怪しいというので、ある時、母親がこっそり娘の後をつけてみた。すると娘は山の中へ入っていって、小さな尾根を廻った向こうの、人気のない沢へと降りていく。そして沢に出る少し手前のあたりで突然しゃがみこむと、なにやら只ならぬ様子でじいっと前方を伺っている。

娘のその様子があまりにも真剣なので、いったい何を伺っているのかと母親も気になって、息を殺して背伸びして沢のほうをたしかめた。すると、沢のほとりのちょうど良い加減に陽のあたるところに畳二畳ほどの大きな平たい岩があり、その岩の上に途方もなく大きな蛇がとぐろを巻いて休んでいるのが見えた。娘はその蛇を見ていたのだった。

母親は音を立てぬようにその場から引き返すと、大急ぎで家に戻って、父親にこのことを告げた。あの蛇はきっと山の主だ、娘の悪癖は直ったのではなくてあの山の主を狙って鳴りを潜めていたのだ、ということになって、さてどうしたら良いかとなると二人とも分からない。とにかく捨て置けることではないので、父親は村おさの家へ相談に行った。

さて、ところが、父親が村おさの家から帰ってくる前に、今度は娘が戻ってきてしまった。

母親はなに喰わぬ風を偽って家の仕事をしていたが、その実、恐ろしくて仕方がない。この娘はあんな大きな蛇に何をしようとしているのか、もしや既に山の主を手にかけてしまったのではないか、と考え出すと慄々として仕事がすすまない。ついに堪えきれなくなって、もう生き物にかまうのは止めてくれと言ってしまった。

さあ、それで娘の怒るまいことか。人とは思えぬほど目を吊り上げて、お前はあれを見たのか、と母親に迫る。母親は、見た、と答えた。お前と蛇が居るのを見た。わたしは恐ろしくて、大急ぎで家に帰って、父に相談した。いま父は村おさのところに相談に行っている、と洗いざらいぶちまけた。

娘は髪を掻きむしると着物を脱ぎ捨て、お前などもう親ではない、自分はこれから蛇のところへ行くと叫んで、獣のように家を走り出て山中に消えた。

父親が帰ってくると母親は、これこれこうで、と留守の間にあったことを話した。父親は大急ぎでまた村おさのところへ行き、人手を五、六人あつめて、娘を追って山へ分け入った。

尾根を廻って母親の話にあった沢を見つけてみると、そこでは、あろうことか娘と蛇が身体を絡み合わせて這っていた。蛇は胴体を娘の腰から背中へぐるりと体を巡らせ、胸を廻って腋の下から首の後ろへと鎌首を巻きつけ、いっぽうで尻尾を娘の股の間から太腿に巻いて、膝からふくらはぎへと絡んでいる。

父親は、これはきっと娘が悪さを仕掛けて、逆に山の主の怒りを受けているのだろう、と思ったが、そうではなかった。

蛇の胴体の、腰元とでも言うべきあたりで白い袋のようなものが突きだしていて、娘はそれを股に挟んで、自分の女陰を押しつけていた。蛇は胴体をくねらせて娘の股に巻き付き、白い袋を押しあてて、娘の女陰に収めてしまった。そうして、娘と蛇は身体を巻きつけ合って地面をのたうった。蛇が獲物を巻き殺そうとしているように見えて、実は娘が蛇を引き寄せて交合っているのだった。

娘を捕らえるつもりで来た皆であったが、こうまで身体を絡み合わせていては娘だけ抑えるというわけにもゆかず、山の主を怒らせるのも恐ろしい。しかし蛇の交合いは長いとも言うし、ほおって置いたら何時まで続けるか分からない。幸いにと言うべきか、およそ半刻ほど遠巻きに見守っていたところ、ふい、と蛇が身を離した。そうなるまでの間、皆に取り囲まれていながらも娘は怒るでも恥じるでもなく、まるでこの世に蛇と二人きりであるかのように辺り憚らずに交合いを続けた。

さて、ここからが大変だった。

身体が離れた機を狙って娘は捕らえられ、いったん、村おさの家まで引き立てられた。そしてひと晩かけて、大蛇との関係を詰問された。

娘は初めは口も開こうとしなかったが、やがてぽつりぽつりと蛇との事を話し始めた。

娘が初めて蛇と遭ったのは、春先に山菜を採りに行ったとき事だったという。沢のほとりで休んでいたときであったが、沢の流れから音も立てずに、ぬっと現れたものがあって、それがあの大蛇であった。頭は人の拳ほど、胴は人の腕ほども太く、頭から尾の先までは大人二人分もの長さがあった。大蛇は、いっさい物音を立てずに岸に這い上がり、滑るように大岩に上がって、娘のすぐ横にととぐろを巻き、ゆったりと身を横たえた。その一連の動作の間、こそとも音を立てず、まるで優雅な舞いを見ているようだった。

あまりに優雅で気品があったので、娘は、これはきっととても高貴な御方に違いないと知った。どうにかしてお側に仕えたいと思ったが、いきなり押しかけても人が来たと思って逃げるであろうし、娘のほうでも恥じらう気持ちが動いた。そこで毎日々々沢に通って少しづつ自分の姿を見せて馴らし、そのうちに手ずから餌を与えても喰ってくれるようになり、そしてついには蛇のほうから娘に身体を巻きつけてきたのだという。

身体に巻きつかれて娘は、自分は妻に望まれたのだと考えた。天にも昇るような心地であったが、いきなり家を出てしまうわけにもいかない。どうしようかと悩みつつ、ときおり蛇の姿を見に行っては自分を慰めていた。そういう事情があったときに母親からあのようなことを言われ、てっきり蛇と抱き合っているところを見られたのだと思ってしまった。睦み合いの場を他人に見られて、しかも自分の親が覗き見などという下劣なことをやっていたと知っては、もう家に居られない。そこで、家を捨てて蛇と欠け落ちするつもりで沢に行った。すると待っていたかのように蛇が身を寄せてきたので、もう何もかもどうでも良いという気持ちになって、蛇と交合ってしまった。

大変な話であり、村ではこの始末をどうするかという結論を、おいそれと出せなかった。

娘は山の主への捧げものということで贄に出す。しかし生贄を得ることを覚えてしまっては困るので、蛇は他の地へ追う。贄にすると言っても殺すと言うことではなく、この場合は娘の所有権を蛇に移すということであろう。蛇が娘を所有しているということにして、娘は蛇と一緒に行動させる。しかしその蛇は追い払うというのだから、つまりは蛇と一緒に追放するということである。そのように決めるまで十日ほどかかったそうである。その十日ほど、娘はずっと村おさの家に監禁されていた。

贄にされるとなっても、娘は恐れたり悲しんだりする様子を見せなかった。むしろ当たり前と思っているようで、しかもこんなことを申し出た。

自分はかつて何度も、生き物を捕らえては酷い仕打ちをしてきた。その自分が蛇のものになるというのも、その報いであろう。であれば、かつて自分が行ったように、自分も酷い目に遭わねばならない。どうか自分の片腕と片脚をもぎ取って欲しい。蛇のように地を這うしかない身になって、蛇の贄となりたい。また、贄にする自分をあの沢のほとりにある大岩の上に置けばきっと大蛇がやってくる。身動きできない自分に蛇が巻きついて交合ったなら、そこを一緒に網でもかければ面倒もなく蛇を捕らえることが出来るだろうから、そうやって蛇と一緒に運んでどこか他の土地に捨てて欲しい。

そう言って申し出たときの娘は、見たこともないような輝いた気色に満ちていたという。

とは言え、さすがに手足をもいでは娘が生きて居れるとも思えなかったので、人の背より長い丸太を持ってきて、丸太の一端に娘の右腕を、反対側の一端に左脚を縛りつけた。ずり落ちたりせぬように、手首、肘、肩、太腿、膝、足首と、何箇所も縛った。左手と右足は縛らなかったが、これは蛇を抱き寄せるために都合が良いだろうと言うことで、わざと自由にしておいた。そうして一本の丸太に磔のように娘を縛り付け、何人がかりで丸太を担いで尾根向こうの沢まで運んだ。

沢のほとりの大岩に丸太を立てかけ、皆は林に隠れてしばらく待っていると、やがて思った通りに大蛇がやって来た。蛇はいつも通りにまず大岩に上がって、それから岩に立てかけられている丸太を調べ始めた。そして、そこにいつもの女がいると判ったのか、丸太に身を絡ませ、女の右腕のほうから下の方へと、長い胴体をくねらせながら降りていった。

降りてゆくに従って、右腕から肩、首、胸といった順番で、蛇の胴が丸太ごと女の身体を巻いていった。もちろん女はいっさい着物など着ておらず、ぬめるような鱗を直に肌に合わせねばならなかったが、嫌がる風も見せなかったようである。そして乳房の下から臍を巻いてついに頭が太腿に達すると、蛇は腿の間に頭を割り込ませ、鼻先を押しつけて、匂いを嗅ぐかのように舌先をちらちらさせた。一度などは穴を捜して潜り込もうとするように頭をねじ込んでいたが、やがて奇怪に身体をのたくらせると、女の腰に身体を巻きつかせ始めた。

蛇の胴体のかなり下のほうで、人で言うなら腰にあたるところから袋のようなものがそそり出ており、蛇はこれを女の股にあてがおうとして、さかんに丸太の上で胴をくねらせた。丸太の上で身を保つのが難しいのか一度は落ちそうにも見えたが、自由にしておいた手で女がこれを支えたので、落ちることはなかった。袋が股にあてがわれると、女は自分で女陰を開いてそれを己の内に導いた。ついに女と交合うことに成功すると、蛇は次に、腰を中心にして女の身体に胴を巻きつけ始めた。端から見ていると、まるで娘の女陰の上でとぐろを巻こうとしているように見えた。

半刻も経たないうちに、女の腰には蛇の胴が幾重にも巻きついて、大きなダマになった。女の股のところがどうなっているかは、もはや外からでは見ようがなかった。女の右足は自由にしてあったのだが、蛇の体に埋もれて、膝から先が見えているだけだった。ただ蛇の頭のほうだけは、女の乳房の上に頭を載せ、温もりを楽しむようにうっとりとして眼を半開きにしていた。

ここぞと云うことで、皆は隠れ場所を出て女と蛇を取り巻き、網をかぶせ、網裾を丸太に縛り付けて捕らえた。

そうして丸太を担いで、尾根をいくつも越え、誰も人が住んでいないような土地まで運んでいったが、これは三日近くかかったそうである。しかもその間、蛇はダマを解かず、ずっと女と交合い続けていた。蛇は交合いが長いということだが、山の主ほどのものであるから普通の蛇よりさらに長いのであろう。

運ばれている間に、ときおり蛇が胴をゆすることがあり、そのたびに女が気をいかせて泣いたり呻いたりするので、運んでいる者達は気色悪くて仕方がなかったそうである。

ともかく、そうやって女と蛇は遠くの山中に捨てられた。さすがに丸太に縛ったままでは可哀相だろうと言うことで手足の戒めはほどいたが、その後に娘も蛇も戻ってくることはなく、またどこかの村や町に現れたという話もないので、どうなったのか分からない。

捨てに行った者達の中には女の父親も居り、これはその場を離れるときに、赤い布を一反と、小さな栃餅を二つ、娘のそばに置いてきたそうである。婚儀と見たのかもしれない。

この地に伝わる話で、「蛇の嫁取り」と言われている。

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少々できすぎた話のようでもあり、曾祖父の創作でもあるかと思ったが、今さら確かめるすべもない。三重県の生まれの友人でもいれば似た話が無いか尋ねることも出来ようが、あいにくの交友の狭さゆえ、それも叶わない。

こういった帳面は11冊ほどあったのだが、そのうちの6冊は私の失敗で失ってしまった。紙袋に入れていたのだが、駅の自販機で飲み物を買おうとしてちょっと目を離したすきに、置き引きにやられたのだ。油断も隙もない世の中である。

なお11冊のうち、2冊は無題、4冊が「奇想奇話」、5冊が「奇談見聞」、とタイトルが付けられていた。「蛇の嫁取り」は「奇想奇話」の3冊目にあったものであるが、やはりこれは曾祖父の創作によるものだったかも知れない。



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