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2002/06/26(水)

このニュースでいろいろ考えてしまった。

6月26日の朝日新聞によると、法務省は、体外受精などの技術を利用して生まれた子供について、第三者の卵子(または精子)を用いた場合でも、「出産した女性」を母、その夫を父と認めることにしたそうである。

これ自体はいい。妥当なとこだと思う。問題はこの先。「精子を提供した第三者には子の認知ができないようにする方向で検討されている」という。卵子提供者については記事ではなにも言っていないが、なにも言っていない以上、やはり認知させないつもりなのだろう。

しかし、これはまずい。なにがまずいって、親子関係を認知させないのなら、遺伝的には血縁関係にあるにもかかわらず、法的には他人ということになってしまう。そして他人なのだから、結婚もできてしまう可能性がある。いや、(文字どおり)親子ほども年齢が離れているんだから、そりゃないだろう、と思うかも知れないが、別に本人でなくとも、提供者の兄弟姉妹、子供、または同様にして提供された(同じ提供者の)精子・卵子で生まれた子供は、やはり遺伝的に見ればりっぱに血縁関係にある。お互いに知り合う可能性は低い(自分と同じ体外受精者と知り合いたい、と思わなければだが)が、理論的には結婚も出産も可能なはずだ。遺伝的には血縁なのに。

ところで、近親相姦がなぜタブーなのか、法務省はそこのところをちゃんと考えているのだろうか。「慣習として」というのも、もちろん大きな理由ではあるが、それ以外にも「遺伝的なリスクが大きくなるから」というのがある。

で、精子/卵子提供者を親として認知させないというのは、この「遺伝的なリスク」をなかば野放しにするということになる。おっと、「親としては認知させないけど、血縁は認める」というのなら、話は別。その場合は従来どおり近親婚は回避できるだろうから。

で、「遺伝的なリスク」を容認するのであれば、ひるがえって現状の近親婚タブーはどーなるんだ、と私は思うんである。それをタブーにしておくための、理論的な根拠はなんだ、と。そしてこう思う。「今までもそうだったから、という慣習しかない」

いいのか、それで。「今までそうだったから」というのは、「これからはそうでなくてもいいよな」と誰かが言い出せば、それで終わりじゃないか。「今までそうだった」という理由は、みんながそれに賛成している状態でしか通用しない。だれかが「俺は賛成しない」と言い出したら、力ずくでその意見を圧殺するか、なしくずしに「じゃあ、認めよう」とするしかない。

あー、書いていて自分でもちょっと混乱してきたので、まとめてみると……。

誰かが「近親者同士でも結婚して子供をつくるのを認めてもいいんじゃないか」と言い出した場合、従来なら「それは遺伝的なリスクが高くなるから」という根拠で認めないでいることができました、と。でも体外受精などで使用する精子/卵子の提供者と、生まれた子供の「血縁」を認めないとしたら、遺伝的リスクを根拠にすることは出来なくなるぞ。そうすると「おねえ、俺はおねえと夫婦になりたい!! イワオなんかにおねえを渡すのは嫌じゃ!!」「そ、それは駄目じゃ、平太。だって、おまえはおねえの弟だもの」「弟だからなんだというんじゃ。血の縁なんか関係ないわい」「でも、でも、今までずっとそういう決まりだったんだし」「その決まりの理由はなんじゃ? なぜそういう決まりがある!? 答えられるか、おねえ?」「そ、それは……それは……ああ、おねえにはわからない、わからないよ、平太」「今までのことなんか、知らん。おたがいに好きあっておれば、もう関係ない。そうじゃろう、おねえ?」「ごめんよ、平太。おねえは、おまえよりイワオのことがずっと好きだから。ごめんよ、平太」

なんだか、もっと混乱してしまったような気がするが……しかも、まとめになってないし。つまり、遺伝的リスクという根拠を失ってしまったら、従来の近親婚禁止も根拠がなくなってしまうんじゃないの? ということを言いたいんである。それはつまり、近親婚解禁と同じことじゃねーのかよ、と。

ちなみに「近親者と子供をつくるなんて、動物だけだ。人間の尊厳のために必要な禁止条項なんだ」という意見は、この場合通用しないだろう。だって、(1)精子/卵子提供者(遺伝的近親者)とはオッケーだ。(2)動物だって、実は近親の個体とは性交を回避する傾向が観察される。(ただし、全生物についてそうだというわけではない。ここで言いたいのは、動物だからって近親相姦オールグリーンってわけじゃない、ということである)

結論。法務省は精子/卵子提供者についても、せめて血縁関係は認めるなどしたほうがよいのではないか。まあ、もしかするとすでにそういった点は議論済みで、それを知らない私が一人相撲をとっているだけかも知れないが。

ちなみに、上で頻繁に使っている「遺伝的リスク」ってのは私が今考えた造語である。正式になんと言うのかは、知らない。遺伝的疾患が発現するリスク、というような意味で使用している。

法務省に宿題を出しておこう。将来、遺伝子治療技術が発達し、生まれてくる子供の遺伝的な問題のほとんどを解決できるようになったとしたら、近親婚はやはり禁止されるべきか否か。また、その判断の根拠はなにか。応用問題として、夫および妻の遺伝子を短時間(数日? 数ヶ月?)で分析することが可能になり、生まれてくる子供の遺伝的なリスクを計算できるようになった場合は、どうか。また、精子/卵子の遺伝子をチェックして、遺伝的に問題のない組み合わせで受精させることが可能になった場合は、どうか。遺伝的リスクがなくなる(または無視できるほど軽くなる)ような世界になったとき、「近親者同士でも結婚を認めろ」と迫られたら、やはりそういう方向に法を変えていくべきだろうか。あと何10年かしたら、この宿題の答えを求められることになるかもしれない。

ところで、まだサイトをオープンしていないのにこんなことを書いている俺って……。


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